もう20年ほど前の話です。
ぼくは当時、プロゴルファーを目指して練習場で働いていました。
仕事の時間は夕方の5時から夜の10時まで。
それまでは無制限に練習しても良いという条件でした。
いわゆる研修生扱いだったのです。
朝はゴルフコースに行くことがある為、昼頃から練習を開始して平均800発、多い時で1000発以上を打たせてもらっていました。
当時のゴルフ練習場は芝生や土に向かって打つところがほとんで、打ったボールが溝に落ちて返ってくるようなところはほとんどありませんでした。
ですから営業が終わるとレーキを持って奥まで走って行き、ボールを集めて回収する作業があります。
ある日、そろそろ営業時間が終わりそうなのでレーキを持ってボール回収の準備をしていると、アイアンのヘッドを飛ばしてしまったお客さんがいるので拾ってくるようにとの指示がありました。
年季の入ったアイアンは使っている内にネック部分が折れてしまい、ヘッドがボールと一緒に飛んでいきます。
だいたい1週間に3回~4回。多い時だと1日に3回ほどのヘッド飛ばしがあります。
ぼくの場合はゴルフコースでしたが、過去に4度ほどヘッドを飛ばした経験があります。
ヘッドが飛ぶと言っても50ヤードも飛びません。
ボール回収の際に打席から近い部分は一緒に働いているお年寄りの担当。
ぼくたち若手は200ヤードほどの奥までボール回収に行くので、ほとんどの場合でヘッドを探すのはお年寄りチームの仕事でした。
ボール回収が終わって戻ってくると、何やら人だかりができています。
どうやら回収したヘッドをみんなで眺めているようでした。
ぼくも一緒にヘッドを見る事にしました。
「なんだこりゃ?」
驚いた事にそのアイアンのヘッドは、溝がありません。
フェース部分に刻まれているあの溝です。
また番手の刻印もありませんでした。
溝が無いとバックスピンが掛からないどころか、真っ直ぐにボールを飛ばす事も難しくなります。
こんなクラブが存在するなんて驚きでした。
そのクラブのヘッドを観ながらみんなでワイワイ話をしていると、奥からオーナーがやって来ました。
「みんなお疲れさんやな、んっ…どうしたんや?」
恰幅の良い、人柄の良さそうなオーナーです。
溝の無いアイアンを見せるとオーナーも驚いていました。
このオーナーは、あるゴルフコースの会員でクラブチャンピオンになるほどの腕前でした。
そのオーナーでさえも初めてみると言っていました。
オーナーはそのクラブを見ながら、「ロフトは3番アイアンやな…」と呟きました。
後から聞いた話ですが、ヘッドを飛ばしたお客さんも3番アイアンのヘッドが飛んでしまったと言っていたそうです。
オーナー曰く、3番アイアンだと元々ロフトが立っているのでバックスピンも効きにくい、それに3番アイアンなら距離を稼ぎたいから溝を無くしてスピン量を減らしているんじゃないのか?っと推測されていました。
その後オーナーは、珍しいものを見たと言って奥へ帰って行きました。
この溝の無いアイアンがルールに適合しているのかは分かりませんが、こんなクラブを使ってゴルフをする人がいるのか…と当時は衝撃でした。
そしてもう一つの衝撃は、クラブのヘッドを見ただけで番手が分かったオーナーです。
3番、4番、5番辺りだと、単品で見せられたらどれか分かりません。
それをピタリと当ててしまったのには本当に驚かされました。
結局、このアイアンがどういった経緯で使われていたのかは分からず仕舞いなのですが、たまに中古ゴルフショップに行くと古いゴルフクラブが売っているコーナーに行きます。
もちろん探すのはフェースに溝の無いアイアン。
見つけた事はありませんが、いつか手に入れて試打してみたいと思っています。